ヘレン・ケラーの偉業と言葉~ 売上増加

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

ヘレン・ケラーの偉業と言葉

blogcopy1


「ヘレン・ケラーの偉業と言葉」


今回、お話しさせていただくのはヘレン・ケラー
ヘレン・ケラーについては、以前もお話しさせていただいている。
私が幼い頃から好きな人物の一人。


最初、ヘレンのことを知ったのは私が幼い頃だった。
母に話してもらったことから彼女のことを知った。
その後、学生の頃にあることから、彼女のことを知りたくなり、
書籍だけではなく、映画「奇跡の人」を観ていた。


そのヘレン・ケラーについて、改めてお話しさせていただく。
彼女は米国の教育家であり、社会福祉事業家だった。


でも、その職業以上に有名なのが
視力、聴力、言葉を話すことができないということだろう。
目が見えず、耳が聞こえず、言葉を話すことができなかったのだ。


彼女が視力、聴力、言葉を失ったのは、2歳の時の高熱のため。
一命はとりとめたが、そこから目は見えなくなり、耳は聞こえなくなり、言葉を失った。


それにより、しつけをほとんど受けることができなくなった。


その後、彼女が6歳の時に運命的な出会いをする。


それが「アン・サリバン」という家庭教師との出会いだった。
ヘレン・ケラーの偉業も、その彼女によるものと言っても過言ではない。
その彼女がヘレンに「しつけ」だけでなく、「指文字」などを教え
諦めていた言葉を話すことができるようになった。


アン・サリバンはその後50年にも渡り、
良き教師として、良き友人として、ヘレンを支えていく。


そこからヘレンの人生は一変。


その後、ヘレンはラドクリフ女子大学へ入学
ラドクリフ女子大学はその後ハーバードの男子学生と共学になり、ハーバード大学となった名門中の名門だ。


そして、米国社会党に入党し、
婦人参政権運動や公民権運動など多くの政治的・人道的な抗議運動に参加。
著作家としても活躍する。
また、世界各地を歴訪し、身体障害者の教育や福祉に尽くす。


1937年(昭和12年)には日本にも訪問し、観桜会に出席
昭和天皇にも拝謁した。
余談だが、その日本訪問時に横浜港の客船待合室で財布を盗まれてしまう。
でも、そのことが日本の新聞で報道されるやいなや、日本全国の多くの人々からヘレン宛に現金が寄せられた。


多くの活躍をし、
多くの人に影響を与え
多くの人に愛を与えたヘレン・ケラーだった。
だからこそ、多くの人からも愛がよせられるのだと思う。


「三重苦」と言われるヘレン・ケラーだが
そう考えると、「三重苦」という言葉は違和感を感じる。
確かに想像もできないほどの苦労はあったのだろう。
でも、それがあったからこそ、多くの偉業を成し遂げたのだと私は思う。


そのヘレン・ケラーの言葉と書籍を最後にご紹介したい。
非常に素晴らしい本だ。


helen






blogcopy2
[ 2011/11/20 14:29 ] 人物 | TB(0) | CM(0)



コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://azabuconsultant.blog10.fc2.com/tb.php/1068-0ee095c6













上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。