スペインの旅「質と美」2~ 売上増加

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スペインの旅「質と美」2

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スペインの旅「質と美」2


土日を挟んだので、前回(2012年2月3日の記事)の話を少しだけしたい。


11世紀にスペインのあるイベリア半島では後ウマイヤ朝が滅び
そこから、イスラム勢力が急速に弱体化した。
そして、キリスト教徒による、レコンキスタ(キリスト教徒がイベリア半島を再び取り戻すこと)が加速していった。


その状況の中で、最後に残されたイスラム王朝
それがナスル朝(グラナダ王国)。
そうお話しした。


当時の世界地図を見ると、その小さな国ナスル朝はキリスト教国に囲まれている状況。
だが、現在世界中の人々をも魅了する、その美しい宮殿を造ったのは、その小さな国だったのだ。


アメリカ人作家のワシントン・アーヴィングが1832年に発表した
アルハンブラ宮殿物語でこの国及びイスラム教徒について、述べているものがある。


「彼らは権力を強めていくいっぽう、美術・科学ばかりでなく、農業・工業・貿易を学問として進歩させた。
そして、当時のキリスト教国であるあらゆる帝国が、及びもつかない先進国として、無敵の王国を築いたのであった。
オリエントにアラビア帝国を築き、偉大な文明の時代をひらいたイスラム教徒は、スペイン国土にも優雅と気品に満ちた花をひらかせた。」


ここで少し、説明をしておきたい。


アルハンブラ宮殿という名前


おそらく、「宮殿」とついているので、「宮殿」しかないように思うかもしれない。
でも、実際には違う。


あなたがアルハンブラ宮殿の中を歩くと、宮殿以外にも数多くのものがあるのに気がつくだろう。
歩くと、城塞、住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園など様々な施設が目に入って来る。
アルハンブラ宮殿には貴族を中心に2,000人以上もの人が住んでいた場所だったのだ。
この大部分が、その小さな国によって築かれた。


でも、厳密には大部分が造られたというのが正しいだろう。
様々な施設のうち、城壁、要塞については、8世紀ごろの後ウマイヤ朝末期が築いたアルカサーバと呼ばれる峠が原型だ。
8世紀というと日本は平城京へ遷都が行われ、飛鳥時代から奈良時代に移り変わった時代


8世紀に城壁が造かれ、
それが、小さな国ナスル朝の時に一気に拡張した。
ナスル朝初代の王が宮殿の建築を始め、
14世紀、第7代の王ユースフ1世とその息子ムハンマド5世の時にほぼ完成した。
(日本は室町幕府のあたりだ)


つまり、


6世紀もの時間をかけ、築かれた宮殿だ


ここで、そのアルハンブラ宮殿の現在の姿を映した夜景をご紹介したい。
この夜景はアルバイシンの丘から撮影したもの。
アルバイシンは、グラナダでもっとも古い地域
細い道が迷路のように入り組んでいるのは敵の侵入を防ぐらしいが、ここは本当に迷う。


そして、その丘から見えたアルハンブラ宮殿の夜景が次のものだ。
三脚なしで撮影をしたため、ピントが合っていないかもしれないが、グラナダの丘の上にあるアルハンブラ宮殿は確かに幻想的だった。


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陥落


この美しいアルハンブラ宮殿もイスラムの手から離れる。
グラナダ王国も末期になると、次第に勢力が衰えて来るのだ。


イスラム国家に対するキリスト教国スペインによるレコンキスタには耐えられず、
1492年についに無血開城。
陥落した。


このグラナダの陥落により、キリスト教国のレコンキスタ(領土回復)も終わりを遂げる。
イスラム勢力はイベリア半島のすべての領土を失ったのだ。


その後、数多くのモスクは教会へと変えられた。
その過程で、イスラム的なもの、イスラム的な文化は払拭されていった。
だが、それでも、このイスラムの宮殿、アルハンブラ宮殿は残り、世界中の人々を魅了している。


敗北してもなお、生き抜いた宮殿が、今も人々を魅了しているのだ。


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[ 2012/02/06 12:45 ] 独り言 | TB(0) | CM(0)



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