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老子との対話 11

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老子との対話 11


ここまで老子について説明してきたが、分かっただろうか?
正直、僕は初めて老子を読んだ時、よく分からなかった。
「道って何だ?」
何度もそう感じた。


老子が言う


「道」


それは「宇宙自然をあわせてつらぬく唯一絶対の道」。
僕流に言えば、「原則」の中の「原則」。例外はなく、唯一絶対のものだ。


「道について、説明してくれればいいのに」そう思いながら、老子を読んだのだけど、そう甘くはなかった。老子は「人間世界の約束ごととは違うから、表現できないよ」と言ってくる。だから、「目に見えないし、耳で聞くことも、手で触れることもできないよ」、と。


ただ、嬉しいことに、老子が「道」を極めた人のことを言ってくれているところがある。
「道」自体は表現できない。だから、それを極めた人も表現できない。でも、無理に表現してみようと言ってくれている。
「道」が原則中の原則であるならば、それを極めた人はまさに理想の人だ。


その理想の人を述べたものが次の言葉だ。


「おずおずとためらって、冬の冷たい川を渡るときのように慎重であり、ぐずぐずと足ぶみして、四方から敵の起こるのを恐れているかのように注意深く、きりっといかめしくて、威儀を正した客のように厳粛であり、さらりとこだわりがなくて、氷がとけるときのようにすなおであり、しっかりと篤実であって、まだ削ってない樸(あらき)のように純朴であり、からりと虚しくて、深い谷間のように無心であり、混沌とまじりあって、濁り水のようにあいまいである」



分かっただろうか?
僕は「分かったような分からないような」と感じた。表現できないものを無理に表現しているのは分かるけど、僕にはよく理解できないものだった。でも、鍵となる言葉をピックアップするともう少し理解しやすくなった。


「慎重」
「注意深い」
「厳粛」
「すなお」
「篤実」
「純朴」
「無心」
「あいまい」


これを噛み砕くと、
外部に対しては「慎重」「注意深く」ある。
でも、慎重になるからといって、びくびくと臆病になるわけではない。過剰反応するわけでもない。「厳粛」、つまり、おごそかでいるのだ。
さらに、変に意固地ではなく、「すなお」「無心」でいる。さらに単に「すなお」ではなく、「篤実」、情け深いのだ。
そして、「あいまい」なのだ。


シンプルに言えば、慎重深いけど、おごそか、素直だけど情け深い。そして、「あいまい」なのだ。


この「あいまい」というのは、「いっぱいに満ちることはない」ということだ。
つまり、両極端には行かず、あいまいの状態で、物事を生み出して行く。その状態が理想ということだ。


「限界まで頑張っていないのに優秀な人が一番欲しい」


私が親しくしている経営者の方がそう言っていたことがあるが、まさにそれに近い。
限界まで言ってしまうと、後は落ちるだけだ。仮に燃え尽きて失敗したら、二度とは立ち上がることはできない。余力が微塵も残っていないのだ。当然だ。


僕はこれを聞くと「あしたのジョー」を思い出す。ジョーが「あとにはまっ白な灰だけがのこる…燃えかすなんかのこりやしない…まっ白な灰だけだ」と言う。その言葉が好きだし、ジョーの言葉が今でも頭の中に浮かぶことがある。でも、最後に完全燃焼をしたジョーは立ち上がることはできなかった。


だからこそ、「あいまい」が重要なのかもしれない。


老子はそのことをこう言っている。


「安定して落ちついたままでいて、それを動かしておもむろに物を生み出していくということが、だれにできようか?(道を極めた人ならできる)」


安定して落ちついている。
でも、物事を生み出していく。
老子は道を極めた理想の人のことをそう言っている。あなたがどのような人になりたいか、それは分からない。でも、その参考にしていただければと思う。


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[ 2012/11/13 19:29 ] 人物 | TB(0) | CM(0)



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